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2023/07/10

アキラの映画日誌#008「男はつらいよ」シリーズ番外編

      
 随分前になりますが、新聞に「近頃なんか面白くねえなァと思ってたんだ。フト気が付くと、おめえ、圓生が居ねえ、志ん生が居ねえ、文楽が居ねえ、十七代目(勘三郎)が居ねえ、(藤山)寛美も居ねえ、その上、渥美清までいなくなっちゃあ、そりゃァおめえ、世の中ァ、面白くねえ筈だ」という嘆きの一文が載っていました。品があって、艶があって、面白い人たちは皆んな居なくなってしまいました。  
シリーズ全四十八作を通して、全編に出演している倍賞千恵子が、渥美清の追悼番組で、こんなエピソードを話しています。  

「たまぁに電話かかってくんのよ。お互い他愛もない話した後、最後に渥美ちゃん必ず、あの寅さんの口調で、ところで、どうだい、お前今ァ、幸せかい?って私に聞くのよ。その時は、私もさくらの気持ちで、ええお兄ちゃん、とっても幸せよって答えるの。 そしたら、芯から安心したように、そうかい、そりぁ良かったって云ってそっと受話器を置くのよ。ただ、それだけのことなんだけどね・・・」涙ぐみながら話す初老の倍賞千恵子に寅さんの顔が重なって、何とも言えない想いが溢れる番組でした。

 このシリーズは毎回寅さんの相手役のマドンナが変わりますが、四回も出演した女優がいます。ドサ回りの売れない歌手リリー松岡を素敵に演じた浅丘ルリ子です。倍賞千恵子が木綿の風合いだとすると、浅丘ルリ子は誰を演じてもシルクかビロードの感触です。

 1970年頃、池袋に文芸座、文芸地下という小さな名画座が二館あって、この文芸地下が「日活一七年史」という企画で日活最後の一七年間の全作品を上映した事があります。今では考えられませんが、毎週土曜の夜十時過ぎから日曜の朝にかけたオールナイト四本立てで、日活映画全盛期に間に合わなかった、遅れてきた日活少年達が押し掛け毎週末満席でした。遅れて来た少年のひとりである私もここで初めて裕次郎ルリ子のゴールデンコンビ作品を何本も何本も観ました。
有名な「赤いハンカチ」という裕次郎作品の冒頭、若きルリ子が家の軒から顔を出して「お豆腐屋さーん」と自転車の豆腐屋さんを呼び止めるシーンがあります。この時の浅丘ルリ子の美貌、清純、快活、清楚でありながら妖艶が入り交じった表情と存在感は圧倒的で、この時程日本中の青少年がお豆腐屋さんになりたかった時はないものと思われます。  

日活全盛時、「鷲と鷹」という当時としてはかなり大掛かりな海洋作品でも、深夜太平洋上の甲板でウクレレを弾きながら「海ぃの男は行く~ 強者は行く~」と甘い歌声を響かせる裕次郎の傍らで、夜風に髪をそよがせながら純白のドレスに身を包んだ十七歳の浅丘ルリ子の美しさは特筆ものです。

 後年、青森の名士たちがねぶた祭りにルリ子を招待しました。  北国特有の厚く重く垂れこめた雲の下、青森駅の方から蛇行する大通り、黒紋付袴姿の数百人の男衆の提灯行列が先導する。その後を数千人のねぶた衆が続く。夕刻軽く一杯引っかけたルリ子が薄いカーティガンを肩にホロ酔い気分で横町の路地を歩く。その後ろを七~八人の地元名士のおじさん達がついて歩く。
すると、突然ルリ子が唄い始める。唄は「旅の角兵衛獅子」昭和二十七年アラカンこと嵐寛十郎の鞍馬天狗、美空ひばり十五才の杉作、「天狗廻状」という映画の主題歌です。「旅ぃの黄昏、知ぃらない町でトンボ返りをしていたら、夢で見た見た母さんの細い目のよな月が出た・・・」大親友だったひばりは他界してもういない。一人残ったルリ子が青森の裏通りで唄う。唄を聞いたおじさん達の脳裏にまだ貧しかった昭和三十年頃の想い出がブワッーと甦って来る。

先頭の紳士がたまらず目頭を押さえる。後をついていた立派な身なりの紳士達も、涙が止まらない。夕闇迫る青森の裏通り、通りの向こう、大通りには数百の提灯が揺れて過ぎて行く。その後ろからラッセーラッセーの数千の踊り手たちの大歓声が聞こえてくる・・。   

寅さんシリーズでは売れない旅回りの歌手だったリリーさんはここで見事にその役割を果たしたのです。

一方、渥美清の言葉は盟友永六輔が書き残しています。

「今の卒業式と昔の卒業式は全く意味合いが違う。昔は小学校を出たら、多くの子供が奉公に出ました。卒業式で学校を出たら、もう一生会えないかも知れないと皆んなそう思っていた。渥美清は昭和15年(1940年)、浅草の小学校を卒業します。日本が真珠湾攻撃に向かう1年前の春です。世の中は不穏な空気に満ち、国は軍部が仕切っていました。

 校長先生は卒業生全員を小学校の校庭に集めて円陣を組ませます。そして、自分自身もその輪の中に入ってこう言ったんです。
 
「今から私が右手で隣の子の手をしっかり握るから、ひとりづつ回していくんだよ。左手をぎゅっと握られたら、次の子も右手で隣の子の手をぎゅっと握って回していくんだよ」

 先生が隣の子の手を握る。その子はその次の子の手を握り返す。そしてまた次の子へ。最後の子が校長先生の左の手をぎゅっと握る。その時、校長先生はこう云った。「さあ、これでお別れ、サヨウナラ」それでその年の小学校の卒業式の全ては終わった。渥美さんは遠い目をしてこう云いました。「校長先生は、俺たちに卒業証書を渡したんじゃない。ぬくもりを渡してくれたんです。」  

急速に戦時色一色に染まって行く母国。東京の片隅浅草の小さな小学校。子供ながら、ここで別れたらお互い、もう二度と会えないかも知れないという緊迫感。子供たちの胸に深く刻まれたかけがえのない時間。これが、その年の校長先生に出来る精一杯のはなむけだったのでしょう。渥美清の歯切れの良い見事な語り口とその再現性の高さは聞いた人の胸を激しく打ち、その場にいた全員が泣いた」と、永六輔は書き遺しています。

「男はつらいよ」シリーズはどこの記録にも残らない無数の無名の人々の言葉にならない思いが一杯詰まった作品群だったのです。

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