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2022/11/29
雲って湿度の高い日、鈴鹿サーキットの大観覧席メインストレート前をF1カーが空気を切り裂く爆音と共に時速250/kmで走り抜ける一瞬、尾翼から飛行機雲が目視出来るのをご存じでしょうか? F1カーの両サイドに翼を付ければ空中に浮くとも云われています。 以前、私の友人が鈴鹿サーキットでテストカーの助手席に乗せて貰いコースを一周した時、時速200/kmを超えたあたりからフロントガラス越しの景色が歪み始め、一周し終えた時、助手席から飛び出してコース脇で吐いたと聞きました。 この作品の中でも、試乗を勧められたフォード2世が試作車の助手席に乗り込み数分間コースを試走するのですが、 その余りの加速スピードとドライビングテクニックに驚愕し、脂汗を浮かべながら心底恐怖の表情で「これほどのこととは・・・」と呟くシーンがあります。 時速250/kmを超えてレース場を数十周も走り続けるという事は特殊な才能を持った限られた人たちの特別な世界なのです。 F1レースカーの運転席は極限まで狭く小さく、ドライバーはシートベルトに縛り付けられて殆ど自由が効きません。 「走る棺桶」と呼ばれる由縁です。名手アイルトンセナを始め、数多くの天才ドライバー達が惜しくも世界中のサーキットに散りました。 世は進み、今や自動運転車が見えてきました。が、今でも世界中を転戦する有人F1レースが無数の観客を集めるのは何故でしょう? それは、人が尋常ならざるスピードで自力で地上を疾走する行為の快感を本能的に知っているからではないでしょうか? この作品はアメリカを代表する大衆自動車会社フォードモーター社がレーシングカーの神と恐れられたイタリアのフェラーリ社に戦いを挑むお話です。 フォードモーター社は第2次世界大戦後、巨大企業に成長しますが、1960年代に入ると大企業病に罹り経営危機に陥って行きます。 大会社の改革を目論んだ社長のフォード2世は会社再建のシンボルとして革新的なスポーツカーを作り、自ら世界的レースに参戦しようと考えます。 そこで生み出されたのが名車ムスタングであり、レースカーGT40による世界一の耐久レース、ル・マン24時間への挑戦でした。 ル・マンというのはフランス中部にある街の名前で一般道を含めた一周13.5kmのコースを時速200~300/km超で24時間走り続けるという過酷極まりないレースです。 耐久性を始め車のあらゆる可能性と性能が試されます。 このレースに勝利する事が即ち世界最高峰の車作りの証しになったのです。 しかし、この作品は単なるカーレース映画ではありません。 優秀なプロドライバーだったのに病を得て自動車セールスマンになっているキャロルシェルビー(マットディモン)、 天才的プロドライバーなのにその徹底した狷介な職人気質の為、しがない自動車修理屋になっているケンマイルズ(クリスチャンベール)、 そして神様エンツィオフェラーリから「醜い工場で醜い車を作っていろ」と罵倒されたフォード2世(トレイシーレッツ)とフォード社の重役たち。 この屈辱と冷遇に奮起した3者が立ち上がり、命を懸けて、ル・マンでの勝利をもぎ取るまでの物語です。 限られた時間、限られた予算の中で純粋に突き進もうとするケンマイルズたち現場と全て冷徹な計算づくめの官僚的体質の本社首脳との葛藤、暗躍、裏切り。 徹底的に辛酸を舐めさせられるシェルビーとマイルズ。そして、それら全てを飲み込んで勝利する苦い涙のル・マンゴールポスト。 巨大修理車庫の片隅で油まみれのマイルズと彼の美しい妻(カトリー・ナバルフ)が二人だけでそっと手を取り踊る短いシーン、 空一面の夕暮れ時、誰もいないコース上でマイルズが小さな息子と二人静かに語り合うシーンが胸に沁みます。 館内全体を揺るがす凄まじい爆音、アスファルトを焦がすタイヤの匂いまでして来そうな路面すれすれに据えられたカメラワークの冴え。 映画館内の筈なのに、まるでレース場を時速300/kmで疾走するレースカーの運転席にいるかのように錯覚し、興奮し、超高速のG(重力)まで感じられる力感溢れるレースシーンの数々と、その裏側の様々な人間模様。 カーレースに全くの門外漢の方でも十二分に楽しめ胸が熱くなる、あっという間の2時間半です。 2020年度アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞ノミネート、音響及び編集賞受賞作品でもあります。