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2023/03/25

アキラの映画日誌#007「男はつらいよ」シリーズ その二


ふるさとは遠きにありておもふもの
そして悲しくうたふもの
 
という詩を書いたのは室生犀星ですが、これが寅さんになると、「わたくしは川のほとりで生まれ、遊び、育ったのでございます。
祭りから祭りへのしがない旅の道すがら、柄にもなく、もの悲しい気分になって、川を眺めてしまうのは、そのせいかも知れません。
故郷に残したたったひとりの妹さくら、おいちゃん、おばちゃん、博達はどうしているのでございましょう。
そうです、わたくしの生まれ故郷と申しますのは、東京は葛飾柴又、江戸川のほとりでございます」と、なってあの名調子が聞こえてくるようです。
 
「男はつらいよ」シリーズの通奏低音となっている要素のひとつがこの望郷の念であり、そこで暮らしている人達へ注がれる限りなく懐かしい想いでありましょう。
故郷とは土地の記憶であると同時に人への記憶でもあります。
去り難い癒しの地であると同時に、時には一時も居たたまれない空間でもあるという二律背反的な場所でもあります。
人はその場を離れて初めて、その場の有難味が分かるという厄介な性質を持っています。渦中に居る時は渦中の事は分からないという事でしょうか?
 
今作では冒頭で薄幸の女性を演じた若き日の宮本信子と離れ小島の小さな舟宿の老父を演じた森繫久彌との見事な演劇的やり取りや、いつものとらやに出入りする人達の惚れ惚れするような芸達者なやり取りの数々を堪能できます。
 
おいちゃん役は何と言っても森川信に留ど目を指す訳で、いくら現代のダニエルクレイグが素晴らしいからと言ってジェームスボンドはやっぱりショーンコネリーなのと一緒です。映画の後半の方でひょんな事から寅さんの留守にとらやの二階に間借りする事になった着物姿も美しいマドンナ若尾文子と寅さんとのドタバタの後、森川信のおいちゃんが何とも言えない表情で例の「莫っ迦だねえ」と言った瞬間、隣にいるおばちゃんの三崎千恵子が着物の袖でそっと目頭を拭うほんの数秒のシーンがありますが、監督演出の山田洋次とこの名優二人の名人芸ここに極まるの感があります。
とらやの狭くて生活感溢れた美術を作った佐藤公信、カメラの高羽哲夫の名人芸と相俟って完璧にひとつの日本的世界がここにあります。
又、シリーズ中、唯一登場するタコ社長の小さな住まいと、社長とはいうもののつましい暮らし、新聞紙で作った兜を頭に被った子煩悩なタコ社長(太宰久雄)、散らかしっ放しの二間の部屋、勉強机に向かう長男と部屋中遊び回る小さな子供たち。博さんとの仲を修復すべく、寅さんに頭を下げるタコ社長。その間を縫って立ち働くいかにも下町風のおかみさんが活写される短いシーンも忘れ難いものがあります。

そして、この作品が忘れられないのは、何と言ってもラスト間近の夜の柴又駅での傷心を抱えて又旅へ出る寅さんと妹さくら二人切りの別れのシーンです。
「お兄ちゃん、またどっか行っちゃうのね」
「さくら、・・・覚えてるかい、この駅でよ。オレが十六の時に親父と喧嘩して家出したろ・・・」
「そうね、なんだかお兄ちゃんと別れるのが悲しくて何処までも追っかけてったんじゃない?私」
「そおよ、追っ払っても、追っ払ってもよ、え、お前泣きべそかいてよちよちくっついてくんだろ、オレ、困っちゃったよ。でも、そこの改札のとこまで来たらあきらめてよ、これ餞別よってオレに渡して、お前帰ってったろ・・電車乗ってそれ開けてみたらよ、こんな真っ赤なおはじきが入ってやんの、オレ笑っちゃたよ」
 
「そうね・・・」さくらは俯いたまま、もう泣いている。
「ねぇ、お兄ちゃん、もうお正月も近いんだしさ、せめてお正月までいたっていいんじゃない?」と云うさくらに寅さんは兄らしく、自分達の稼業は人様が炬燵にあたってテレビ見てる時に冷たいからっ風に吹かれて鼻水たらしながら声ぇ枯らしてものを売る稼業なんだと言い聞かせます。
 
夜の柴又駅、ほの暗いプラットホームに電車が入って来る。
ドアが開いて乗り込んだ寅さんが別れを言おうとした瞬間、さくらは咄嗟に自分が巻いていたオレンジ色のマフラーを兄の首に巻いてやり、「つらいことがあったら、いつでも帰っておいでね」と涙目でまるで母親のように言う。
それを聞いた寅さんは「故郷ってやつはよ」と言いかけるが、電車のドアは無情に閉まり、もうさくらの耳には届かない。
無人のプラットフォーム、去って行く電車を懸命に走って追いかけるが、夜の闇の中に電車は消えて行き、泣きながらさくらはひとり立ち尽くす。
 
「男はつらいよ」シリーズ全編を通しての兄妹の秀逸な別れの名場面であり、何時までも私達の胸を揺さぶる忘れ得ぬ名シーンです。
                                   
私はこのシーンを見る度に、本当は決して忘れてはならなかった、何かとても大切なものを、いつか何処かに置き忘れてきたような、そんな気がしてならないのです。
      

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