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2025/06/5

アキラの映画日誌#014  ギターを持った渡り鳥 その2

 
 

シリーズ第2作「口笛が流れる港町」の冒頭、岩山の間を抜けて、馬に跨りギターを背にした主人公滝伸次(小林旭=アキラ)が通り掛かると、大きな岩の上に全身黒づくめの拳銃使い(宍戸錠)がいて二言三言言葉を交わした後、いきなり挨拶代わりの銃の応酬(ガンプレイ)になります。
何故主人公が馬に乗りギターを背負っているのか、何故黒づくめの拳銃使いが大きな岩の上で待っているのか一切説明はありません。それは、何故月光仮面が白づくめの衣装に白いマント、額に三日月、サングラス、真っ白に塗ったバイクで危機に陥った善男善女を救いに、何時も何処からともなく、テーマソングと共に現れるのかを聞くくらい野暮なコトなのです。
ヒロイン浅丘ルリ子は山中の鉱山だろうが、時化の大海原の船上だろうが、いつも純白のワンピースに新品の白のハイヒールを履いて登場しました。そのシチュエーションに当時の大人も子供も誰ひとり何の疑問も抱かず、ましてや何のツッコミも無く、ワクワクしながら映画館やTVの前に座って見ていました。素晴らしく大らかな時代でした。
 昭和33年(1958年)の映画館入場者数は11億3千万人でした。この年の日本の人口は約9千2百万人(現在は約1億2千万人)なので、全人口の凡そ12倍の人々が映画館へ押し寄せたという事です。他にこれといった娯楽のなかった時代、昭和32年(1957年)~昭和35年(1960年)までの4年間が日本映画産業のピークです。
石原裕次郎が「太陽の季節」で衝撃的なデビューをしたのが昭和31年(1956年)、長嶋茂雄が後楽園球場で今や伝説となったデビューをしたのが昭和33年(1958年)です。サングラスに短パン、ビーチサンダルを履いてひとり日活撮影所に降り立った裕次郎は東洋一と謳われた撮影所にとって前代未聞の驚きでした。と、同時に彼は撮影所の救世主となり、瀕死の状態だった日活をアッという間に蘇生させました。日活は1912年設立の日本で一番古い映画会社でしたが、当時苦境に陥っていたのです。裕次郎の登場は映画界のみならず、戦後日本の輝かしきアイコンとなりました。あの浅丘ルリ子でさえ、撮影所の食堂の窓からドキドキしながら初日の裕次郎の登場を眺めたと話しています。
映画館もスタジアムも熱狂的なファンで埋め尽くされました。正に黄金の日々でした。未だ新幹線は無く、線路の上を蒸気機関車が走り、飛行機はプロペラでした。日本は戦後の只中にあり、貧しく、しかし、のどかで明日の大きな夢のある時代でした。裕次郎の登場によって日本映画は劇的な変化を遂げましたが、もう一翼を担ったのが小林旭です。ダイナマイトにちなみ、アキラはマイトガイ、二谷英明はダンプガイ、高橋英樹はナイスガイと呼ばれ、後に日活ダイアモンドラインとして赤木圭一郎、和田浩二、宍戸錠(彼だけが最後までエースのジョーと呼ばれました)が続きました。
中でも「渡り鳥シリーズ」はスタントマンなし、アキラ自身による超人的アクションと相俟って爆発的な人気を呼びお起こしました。ストーリーは単純な勧善懲悪の繰り返しですが、一作毎に各地の観光地とタイアップした為、全国に無数の熱狂的ファンを生み出しました。ロケ当日はひとつの町がカラッポになると云われるくらいの熱狂だったのです。鹿児島ロケの時、西鹿児島駅に数万人のファンが群れをなし二人を待ち構えた為、怖れをなしたアキラとルリ子は数駅前で列車を止め、難を逃れたと記録にあります。言い換えれば、映画スターが列車運行を変える力を持っていた時代だったのです。全国各地で似たような状況となり、余りの熱狂ぶりに二人は嬉しさを通り越して何度も身の危険を感じたと語っています。
当時の映画スターは民衆にとってそれこそ特別な存在(STAR=星)だったのです。
「渡り鳥シリーズ」は日本のみならず、東南アジアでも大人気を博し、ヒーローアキラは武神の如く崇められました。台湾では三万人の空軍兵士と共に総統蔣介石に迎えられ、マニラでは熱狂した若者たち数百台のバイクに追走され、香港では「男たちの挽歌」で世界的監督となったジョンウーが跪いてアキラを迎えています。あのジャッキーチェンさえも「私のアイドル」と叫んで、アキラを抱き絞めて喜びを爆発させています。
アメリカでは西部劇の大スター、ジョンウェインの5エーカー(6000坪)もある飛行場付き自宅に招かれました。J・ウェインは敷地内にプライベートジェットとその滑走路を持っていました。民間航空会社が未だプロペラの時代にです。正に当時のハリウッドスターの面目躍如です。フランクシナトラ及びサミーディビスJRやディーンマーチン等のシナトラ一家とはラスベガスで大散財しています。
後年(1984年)、日本では稀なレイモンド・チャンドラーの系譜を引き継ぐ、粋で博学のハードボイルド作家矢作俊彦がかつての日活アクション映画へのオマージュの限りを尽くした作品「AGAIN」を制作しました。たった独り生き残った初老の拳銃使いコルトのジョー(宍戸錠)が登場し、日活アクション映画の聖地だった横浜を舞台に今は無きかつてのライバルたち(裕次郎・二谷英明・アキラ・トニー=赤木圭一郎・渡哲也)を探し求め、街々を彷徨い歩くという作品です。
日活アクション映画群全盛期のフィルムをふんだんに使ったファンにはたまらない作品ですが、50~60年代のスクリーンの中の彼ら彼女らが永遠に若く、キラキラと躍動し、光輝くほど、映画館内でひとり観客席にいる老残のジョーと、更にそれを画面で見ている老いた往時のファンたちとのコントラストが鮮やかに浮かび上がる仕組みになつています。
宍戸錠が実の弟のように可愛がった赤木圭一郎(撮影所内の事故で21才で死去 後に和製ジェームスディーンと呼ばれた)を始め、かつてのライバルたちの残像に向かってコルト片手に「皆んな何処に行っちまったんだ」と呟くシーンは現実とスクリーンの虚実二律背反の哀切なアイロニーと寂寥感に充ち、この作品を特別なものにしています。

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